今を生きる。私の中の自分に出会う

壮大な源と神様と私の日々のお話し。ときどきこたろう君といっしょ。

『反抗期』からのお互いの脱却

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先日

反抗期の娘との葛藤の中、出口が見えず悩んでいる友人の事を書きました。

外側を囲む覆いは針のようなものでプツンと破られるけど、まだ中身が硬いままでちゃんと解けていくから、無理してほぐさないでいいよというメッセージを感じた通り伝えた話しをしました。

 

お互いの娘同士は良く顔を合わせる仲なのだけど、最近親の送迎こそあるものの、助手席じゃなく後部座席に座ってるとか、親がなんでも干渉してきてうっとうしいとか必要最低限の関わりしか持たない彼女の様子を娘も聞いて知っていました。

 

そんな中、娘たち含んだ仲間でご飯に行く途中で彼女はスマホを無くしたようで、記憶のあった場所まで歩いて戻る事にしたそうです。

そこで見つけたのは、バキバキに割れた車にひかれたスマホでした。

 

ショックですぐさま家へ戻りギクシャクしてるはずの母に『車に踏まれてスマホ壊れた』と報告。

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すると母親は、、バキバキのスマホを手に取って『あぁ○○ちゃんでなくて良かった…』

(娘の名前)といって大事そうに手に取ったそうです。

 

お食事会の後仲間の一人のおうちにお泊りをして、久しぶりに皆で夜通し語り合った中で、彼女は「あの一言で何か頑ななものが一瞬で緩んだ」って話していたそうです。

受験で頑張る私。

親の言う安定を求めて進路を決めた私。

親の価値観を受け入れてる私。

そんなが大切なんだろうと思って反発心でいっぱいだったけど

丸ごと受け入れて貰えたように思ったそうです。

 

親子とはいえ意地の張り合いで、簡単に解決出来るようなことも、なかなか譲れなかったり、素直になれなかったり...素直さや幼さをさらけ出すのを恥ずかしく思ったり。

 

でも、彼女もそろそろ意識の深い所ではこんなんでは生活もしにくいなと感じて、きっかけがあればと思っていたのかも知れません。

 

以前の私なら、悩んでいる友人に早く連絡をして娘伝いで聞いた事をこっそり教えてあげたくなってたと思いますが、今では私の意識はすっかり変わりただただ見守っているだけです。

 

 

自分自身を構築するには持ってこいの出来事の中のひとつが『反抗期』だと今は思います。

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と言うのも

私ももれなく自分がそうだったからです。

強烈な反抗期でかなり手を焼いたそうだけど、私が覚えてるのは、父親にごめんなさいを言った時です。

元の明るいし、アホな事しておどけたり子どもっぽい私にたまに戻ってもいいやんと思うきっかけを失ってたんでしょうね。

何かしら頼らないと生きて行けていない自分自身と、私は自立したいし、もう十分大人だと思うズレがむしゃくしゃを生み、それに干渉がプラスされると時に爆発しそうになる。

そんな時期が思い出されました。

 

...高校生の頃選抜選手に選ばれ、海外遠征に行くことになった。

各家庭に補助で賄いきれない実費の部分を補わなければ参加も出来なかった。

裕福な家庭では無かったのに、両親は本当に喜んでくれ、その上なんとかかんとか用立てくれて、全ての準備が整った。

今考えてもほんとに頭が下がる思いでいっぱいになる。

反抗期真っ只中の私に父親が『凄いなぁ代表のユニフォームとか見せてよ~』ってもらって来た一式の荷物に手を伸ばそうとしてるのをサッと持ち、ガン無視して2階に上がった時に母親が静かに爆発した。

 

『その態度はなによ。なんで一言ありがとうって言われへんの』って言うような事を子どもの頃のようにボッコボコにしばかれながら言われるのではなく、静かに悲しそうに怒られた。

それはそれはよっぽど怒鳴り散らされるよりドカンときた。

 

もうそこで私は、『ありがとう』『ごめんなさい』『感謝してる』『本当は見せたい』『本当は着て見て踊りたい』『ィェーィってやりたい』

とか言う思いが溢れて来て、心から両親に

『色々ありがとうございました、おかげさまでこんな感じです』って確か帽子からシューズまで着て見せたと思う。

 

 

この日で私の反抗期は終わった。

 

ってか終われた。

 

 

全ての反抗期に当てはまるかは分からないけど、先の『○○ちゃんでなくて良かった』という丸ごとの、全てのあなたを包みこむという深い愛が、届く瞬間が有るのだと思います。

 

 

子育てを楽しめる時間は本当にあっという間。

小さい手をギュッと握りしめて手を繋いでは...

リビングで兄弟でコトコト遊んでる姿を見ては...

泣きべそをかいている子どもを『おいで』って抱きしめては...

 

『あぁこの瞬間をずっと忘れないでいよう』

 

と何度も思ったものです。

 

とはいえ、すっかり成人し私よりでっかい息子とは未だに反抗期が続いてんのかと思うほど『メシは』とか『明日弁当いらん』くらいの会話しかありましぇん‪w

 

母『オチ○○ンに毛が生えたら、市役所に届けなあかんから教えてや』

息子『わかったぁ!』

て言うてた時代あったのになぁ~

可愛かったなぁ‪

 

でも、そんな息子も免許取り立ての頃、山道で鹿さんと衝突する事故を起こしては慌てて電話してきたのは私。

 

昨年雪道でスリップし壁に激突した事故を起こしては、すぐさま電話してきたのは私。

(運転下手くそか‪w)

 

息子の電話は毎回一瞬心臓止まりそうになるけど、掛けて来れるんやらか大丈夫や冷静に...って思うようにしています。

 

 

安心感の源になれていることと思い

私はこれで十分なのです。

 

渦中で大変辛い時間を過ごしている方には

偉そうに聞こえたらごめんなさいね。

経験からのお話しでしかありません。

 

『the反抗期』自分自身に向き合い葛藤している

子どもにとってはとても大切な成長過程であり

それを乗り越えたなら目には見えないけどお互いにしっかりとした繋がりができますとも。

形はそれぞれ違うけど、お互い愛で包んだことは間違いありませんから...

 

いつもお読みくださりありがとうごさいます

感謝しています( ᵕᴗᵕ )•*¨*•.¸¸♪

 

故郷を離れたからこそ、見える景色が有る。

おはようございますここてんです。

 

卒業シーズンですね。人生の節目でもあり、

終わりと始まり...

様々な感情が一度に味わえるスペシャルな時間と思います。

慣れ親しんだもの達からの旅立ち。

そして新しい扉の前の期待。

背中合わせの感情が変化しながら行き交います。

 

私も親元を離れ、この感情を痛いほど浴びるように覆われた経験があるので、そのなんともいえない味わったことのない感情よくわかります。

 

日常

いつも一緒にそこにいるのが当たり前の家族たち。喧嘩すれば

あ~はよ出て行きたいとか、いちいちうるさいお小言の束縛からも解放されたいとか、

新しい人生の始まりに期待でいっぱいであんまりよく見ていなかったし、あえて見ないように (感謝とか寂しいとか) してたのかもしれないな。

 

 

 

家族

 離れてみてどんなに守られて安心とぬくもりの中にいたのかを痛感したね。

あの人たちがいたから私が居るんだという根本を思い起こすことになったよ。

親との複雑なつらい関係の人も居るかも知れませんが、それでも赤ちゃんや子犬や子猫を見てかわいく思えて心が和むのであれば、記憶になくても愛情を注いでもらった証拠だと思います。

 

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故郷

 

究極これは目からウロコでした。

所変われば世の中にはこんな習慣あんな常識があったり、考え方や人種の振り幅が広い広い。

 

大阪 (結構都会) から上京したんだけど、

関西人オモロいの当たり前説。

なんかあったときは前出て歌い、前出て踊りみ

たいな役割だったけど重宝されたなぁ

 

いちいち、関西人に対して疑問をぶつけられ

それが『うん...そうやけど』って言ったら

『やだぁ~ほんとなんだおもしろ~い』ってド

ラマのセリフのような関西人からしたら

イキった話し方する人間ばっかりやけど...

ここは東京。

郷に入っては郷に従えの通り大人しく一緒に笑てたし。

 

問) 乾電池って何処で保管するの?

大阪『冷蔵庫やけど』

東京『ほんとなんだ~面白~い』

 

いっこもおもろないけど...

でも喜んでもらえてよかったです。みたいな。

 

一番多いのが、テレビの影響か知らんけど

東京『バキューン』

大阪『うぉーーーぉ』

東京『ヾ( 〃∇〃)ツ キャーーーッ』

 

いや、定番やからやりますけども…

なにがオモロいのかわからん。

 

関西人はノリよくて、みんなこんなんすると思われたらあかんよね

大体めんどくさいし。全国におる関西人は

『バキューン』されても5回のうち3回は自粛して欲しいところです。

 

飲み屋で隣りの人の携帯ピロピロ電話かかってきて、違う席のおじちゃん靴脱いで耳あてて『もしもし〜』って言うたから口の中のもん放出しそうになって

(なんや東京にもオモロい人おるやん)って

思ってたら、やっぱりそのおじちゃん関西弁やったし...。さすがっ

 

もうそうなればやっぱり、郷土愛がとまらないっす。

大阪『これいくらと思う?』

東京『えぇ~1万円くらい?』

大阪『300円!』

 

堂々とどれだけ安く良いものを買ったかを、なんでかアピる恥の文化。愛おしい。

 

大阪『めぇーおおきいてかわいいなぁ』

東京『めぇって羊?@・エ・@』

大阪『目ぇ』

 

手ぇ、胃ぃ、毛ぇ、血ぃ、蚊ぁ

1文字のもんなんでか伸ばす。愛おしい。

 

大阪『おかゆさん食べる?』

 東京『え?誰って?』

おあげさんとかお豆さん、おいなりさん、おはようさん。愛おしい。

 

 

みたいに、大阪にいる時には一切気にならなかったことも、改めて気づけた‪w

 

なんか序盤のいい話がグダグダしてしまったけど、離れたからこそ見える景色は全て愛で溢れてくるように思う。

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いま、故郷を離れて暮らし始めた皆さんへ...

 

自分自身の基礎固めを愛を持って関わってくださった親や兄弟、大事なペット、友人や先生、地域の人達、街並や空気...

いつも思い出すだけでちゃんと自分を包んでくれるよ。故郷への思いはスピリットとなっていつでもどんな時でも守ってくれます。

感謝の気持ちが人生を豊かに彩る種になることをどうか忘れないでね〜

 

最後に私が淋しく辛かった時に聴いては、口ずさんでは100%泣ける曲。

「どんなに高いタワーからも見えない僕のふるさと」のところで必ずポロポロ泣いては

良~し明日から頑張るぞ!と勇気をもらっている歌を紹介して終わりたいと思います。

 


槇原敬之×秦基博 「遠く遠く」

歌:槇原敬之

作詞:槇原敬之

作曲:槇原敬之

遠く遠く離れていても
僕のことがわかるように
力いっぱい 輝ける日を
この街で迎えたい

外苑の桜は咲き乱れ
この頃になるといつでも
新幹線のホームに舞った
見えない花吹雪思い出す
まるで七五三の時のように
ぎこちないスーツ姿も
今ではわりと似合うんだ
ネクタイも上手く選べる

同窓会の案内状
欠席に丸をつけた
「元気かどうかしんぱいです。」と
手紙をくれるみんなに

遠く遠く離れていても
僕のことがわかるように
力いっぱい 輝ける日を
この街で迎えたい

いつでも帰ってくればいいと
真夜中の公衆電話で
言われたとき笑顔になって
今までやってこれたよ

どんなに高いタワーからも
見えない僕のふるさと
失くしちゃだめなことを
いつでも胸に抱きしめているから

遠く遠く離れた街で
元気に暮らせているんだ
大事なのは“変わってくこと"
“変わらずにいること"

同窓会の案内状
欠席に丸をつけた
だれよりも今はみんなの顔
見たい気持ちでいるけど

遠く遠く 離れていても
僕のことがわかるように
力いっぱい 輝ける日を
この街で迎えたい

僕の夢をかなえる場所は
この街と決めたから

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

感謝✧‧˚

現代版の『悟り』ってこんな不思議も伴うものなのか...

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急に何年ぶりかで、子どもを通じて親しくしていたと友人達と時間を共にすることになり

楽しみにしながら一緒に近況を話したり懐かしい話に花が咲いたり、一気にその時代のノリでワイワイしました。

 

でも

 

何かが以前と違います。

 

その彼女らの近況には感じるものがあって(直感的なもので何処から来るのか不明‪w)不思議で仕方ないけど、五感が澄んでいるせいか特殊な感覚が湧いて来るのを感じます。

その場には居ないその私を含んだ仲間である人たちの話題になると俄然どーでもいいしピンとこないんです。

すんげーその当時では考えられんびっくりするような一般的に噂にしたくなるような出来事だったりも(へーそんなんや)

としか思わない。でも一応『マジぃー?ドッキリちゃうん』みたいな以前のリアクションをとってやり過ごしますが…

そりゃそうだ色々あるわなといったところでしょうか。

 

要するに目の前の現れにしか、もう反応しなくなってるんだと思います。

それとか、そういう類いの噂は瞬間的ですが痛みのようにも感じます。

そのまま彼女達に伝えたりすると支障が出そうなので

『ふぇ~』みたいな返しはするものの内心は

〝触れんといたげて = そっとしといて〟

と思ってる自分がいます

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『火に油をさすタイプ』

『火消しに必死に立ち回るタイプ』

『火には興味あるけど、関わりたく無いのでそっぽ向くタイプ』

その時によって多少変わるけど、昔から私は『火消し...』タイプ

そんなに大きく変わってはいないので

私の反応の悪さは違和感なかったと思います。

 

帰りの車の中で私の変化についてひとりの彼女に簡単に話して見ました。不思議がっては居たけど受け入れて貰えて、久しぶりに会った時の彼女から伝わる感覚をその通り

伝えて見ました。

その内容も自分と一致するとの事で、伝えて良かったと、なんならそのようになるとも感じて知っていました。

 

わぁ  ごめんなさい  ナナメから攻めてますけど

最近この手のこと書いて無かったから『?』の

方は前ブログ読んでみてくださいね。

 

最初彼女から伝わるのが『針』でした。自分もチクリと痛むけど何かにもチクリと刺す

という感覚でした。

話し始めるとどんどん湧いてきて

なんでかおっぱいアイスが出てきた。 なつかしわーこの下の白いの。

プチっとして中身があるもの?

 それをその針でつつくとプチンとはじけて周りのゴムだけがむけて中のアイスが現れる

のだけどアイスは凍っているのでまだかたちは原型のままだけどいずれ解けるわよって

言うイメージを伝えてくるものでした。

彼女はそれを聞いて意味も伝わり納得し、心がふわっと軽くなったと言ってくれました。

 

ここまで読んで頂いてますが大丈夫でしょうか

なんのこっちゃでしょう

 

こんな感じできっと、むりくり揉みほぐさんでもええよ、その時はもう少しでやってくるからってことなんでしょうか。深いと思います

聞くと仲の良い母と娘だったのだけど遅かりし反抗期で一抹の寂しさで出口が見えず悩んでいるということでした。

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このブログで語る 私の中の自分に出会う 話をちらほらすると 

そしてその彼女から『悟ったんじゃないのか』と言われました。

私の中では『悟り』は僧侶が様々な苦行をして命と引き換えに得られる様なものと思ってたのでとんでもない違うと思っていたけど、目覚めることや思考が常に薄い状態とか、もしや現代版の悟りなのかもしれない。

この意識になって不都合なことは、現実社会と自分の意識とをうまく調整し行き来することぐらいで、そのほかはほんとに欠乏感はなくなり心が安定している。

私自身は至って凡人でなにかを信じている宗教家でもないです。

以前はぶっちゃけ自分が何かおかしくなったのではないかとか、自分の状態に不安を感じることもたくさんありました。

それこそあまりこの状態を探求したり深めたりするつもりも無く、ありのままでいれればいいなとか、もしやなにかこれらが役立つことがあればいいのになくらいに今は思っています。

なので、時折こんな意識の自分の不思議と現実社会で折り合いを付けるお話しや、まだ私の変化を知人は知らずに居てそれらを公開した時の様子や出来事をここで書いて行きたいし、何故なら少し前3.4年前の記憶とか薄くなっているのでもしかして過去は重要でないとなにかが判断して流れる過去は忘れがちになるのかもという思いから書きとめとこかなと思います。

カテゴリーでは『意識の向こう』としておきます。

 

今日も読んでくださりありがとうございます

明日も良い日でありますように•*¨*•.¸¸♪

 

 

こたろう君との運命の出会い。

うちのこたろう君(9㌔の大きな猫ちゃん)は警察署から貰ってきました。

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出会いのきっかけはその頃中学生の娘が車にはねられて、肋骨を2本折る怪我をして、警察署で回復後の事情聴取をしていた所『ミャーミャー』それはそれは激しいミャーで、うるっさいし気は散るし

これ犯罪者の取り調べとかやったらどうするんやろと思って、大きな警察署管内にギャンギャンに響き渡る程の、赤ん坊猫から発せられる凄まじい鳴き声。

お巡りさん達もびっくりしてたなあどうしたんだろって、今までで一番激しいって。

お巡りさんと猫の話題で盛り上がり聞き取り調査なんかテキトーに流したこと思い出します

延々1匹だけのミャーが激しくずっと続いてた。

 

あまり気になったので、見せて貰うことにして

さっさと事情聴取みたいなの終わらせてもらいご対面!

 

やっべー可愛い...うるっさいけど可愛い。6匹くらい団子になって重なり合ってる、やっとこ目が見えてきたくらいの生まれて2週間の子猫たち。

 

『ダンボールに入れられて署の表玄関先に置いて行かれてたんですよ...よくあるんです』

と困り顔なんだけど ちょっとうれしそうに見えるのはなぜ?

1匹1匹に慣れた手つきで哺乳瓶でミルクを上げている婦警さん。

 

その中でも、ミャーの動きも鳴き声も激しい子にやはり目がいく。

1番元気で凛々しいお顔してたように思えた。思えた。そう。思えた。

 

おし、この子と家族になろうと、写メ付きメールして家族になっていいか?とそれぞれ連絡してみるとソッコーでOK貰えた。

 

ひきとる手続きを進める。

なんだかお世話をしていた婦警さんが、なごりおしそうだったなぁ...

可愛がってくれたんだと思った。

絶対大切に育ててみせるからねと娘と同じこと思っていた事後から知った。

 

お巡りさん達も忙しい中、捨て猫ちゃん達の代わる代わるの

お世話ありがとうございました。

 

色んなお巡りさんや婦警さんが、家族になると聞きつけて『どうぞよろしくお願いします』と挨拶してくださる。

いえいえこちらこそありがとうございますです。

 

男の子とわかり「こたろう」と名前をつけられて家族の一員となった。 

 

さぞかしにぎやかになるぞぉ~と思ってたけど

 

それが...

うちに来るや否やミヤーともピーとも言わない

行動範囲がゲージ周りのみの大人しい男の子の

猫でした。

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それは今でもあまり変わらず

めっちゃ大人しいんです。

 

寝てるか

ご飯食べてるか

外見てるか

ご飯食べてるか

まどろんでるか

ご飯食べてます‪w

 

あの時のあの激しい鳴き声はなんだったんでしょうか…

 

今ではお腹すいた時に『ミャー』とひと鳴きするだけです。

 

何度か下部尿路疾患の病気になり、一度入院したりしましたがこの療法食にしてからというもの、トラブルが一切なくなりました。

いろいろ試して行き着いたのでほんとに良かったです。 

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子どもの頃から大事にしているぬいぐるみたちと混ざってみたけどどこにおるかわかる?
 

 

あの日

事故にあわなければ、警察署などに行くこともなく

行った所であんなに鳴いていなかったら、気づきもしないし

気づいた所で即つれて帰ろうとは思わないだろうし

いろんなことが重なっての必然の産物であり宝物のような存在です。

そして特に娘とは強い結びつきを感じます。

彼女が落ち込んだり泣いたりすると、すぐ隣で寄り添います。

なにもなく自室に行くのと、沈んだ気持ちで自室にいくのとがわかるようで

必ず一緒に二階に上がります。

本当に不思議だけど傷が癒されていくのを感じるそうです。

何か引き寄せあうものがあるのでしょうね。

暴れたり、物を壊したりしない(不可抗力でその体重ぺちゃんこになるときあり)

猫っぽい猫でないこたろうくんは、おだやかでやさしい性格です。

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そして後日お巡りさんにほかのこたろうの兄弟たちはどうなったか恐る恐る聞きました。

なんと全部の子猫たち、色んなおうちにひきとられたそうです。

みんな連れて帰りたかったけど、どうか良き飼い主さんが現れますようにと思っていたので

めでたしめでたしでした。

 

今日もお読みくださりありがとうございます

こたろうもよろこんでいます( *ˊᵕˋ)ノ

 

冬限定の億劫さと、春に向けての開放感。

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家事で冬限定で嫌いなものがある。

買ってきたものを冷蔵庫とかにしまう作業。

洗濯物をそれぞれの場所しまう作業。

洗ったものを食器棚などにしまう作業...。

 

 

私の詰めの甘さがこんな所にもあらわれている。

イケナイイケナイ。

その手前までは全く問題なく楽しくやれる

 

お買い物も好きっちゃ好き。

洗濯物を干すのは大好き。

洗い物はもっと好きっ。

 

なんだけど。

しまうのがイヤなもんだから

(食品は腐るので何とかしまう)イヤイヤやけど。

洗濯物をたたみはすれど、そっから持ってって状態。

食器も、そっから使って状態。

 

部屋は決して散らかってはいない。

洗濯物はキレイにたたまれて部屋の片隅にまとまってる。

食器達もキレイに並べられて伏せられている。

冬が深くなればなるほどそれらは拍車がかかり、

しまわれず循環していく。

 

もうそれで良しとしてる。

見栄えが悪く綺麗にはしたいけど、まぁいっかになってしまう。

冬限定のこんな感じ。

 

春になって開放的な気分になるとそれらはあまり億劫ではなくなるし、あちこち手を加えて整理整頓しだしスッキリしてくる。

不思議です。

 

雪国なので、洗濯物は室内干し。

雪国なので、玄関は長靴やブーツや車の雪ハケや灯油ポリタンク...

 

だっせ〜      んです。

言い訳でしょうか。

 

そんな自分を奮い立たせる方法がありました。

 

インテリア雑誌をめくるとまぁ美しいお部屋やセンスのよろしい居住空間が広がっている。

昔から好きでチョロチョロ買っては捨てれずにとって置いている。

それらを春を間近に感じ始める頃引っ張り出して自分に刺激を与える。

 

マジ憧れるわぁ

 

もう少しすると、花の苗などが売られどこの玄関先も色彩豊かになる。

一気に春めいてくる。

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本当に雪国は冬の閉ざされた時期を静かに過ぎることを耐えて待つ。

来る日も来る日も降り積もる雪と格闘してほんとにみなさん尊敬するわぁ

 

雪解けと共に、自分の心まで解けて行くようで

やる気が出てくる。

立派な模様替えはなかなか出来ないけどまずは

玄関のジュースボックスの片隅あたりから明るいイメージで(全て100均)気分を変えてみ

た。

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さぁてこっから始めてみるか!

 

お読みくださりありがとうございます。

励みにさせてもらい、がんばりますっ !

 

 

 

ありがとう~今のあなたで大丈夫。

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優しいこどもは特に、親に迷惑をかけたくないと学校に行きたくない事を言い出しにくいそうです。

 

娘の3年間を振り返ると、何度か心が折れかけてどこに何をぶつけて良いのかわからなくなる時があったね。

色んなサインを出していたにも関わらず気づいた時にはただの年頃の反抗期では無かった。

 

環境も選べず学校へ行くとしか選択肢がなかったよね。

学校を楽しめていない自分がイヤだったんだよね。

 

 

私もこのまま子どもの悔しさを終わられる訳にはいかないと必死にもがき一緒に苦しんでた。

 

つもりだった。

 

そんな中

負けてどうすると必死に学校へ戻そうとする私。

彼女自身はもう自分を動かすエネルギーは 0

 

そんな渦中で伝え続けた事がありました。

『どんなことがあっても親はあなたの味方だ』

という事。

 

小学校の低学年の頃からスポ少で全身全霊を掛けて取り組んで突っ走って来たあなたは

ゆっくりする暇も無かったと...自分自身を見つめ直す時間を与えてもらったのではと思いました。

 

その辺から、私の意識も変わりはじめました。

 

よし、この時間を思いっきり有効に使おうと。

いつか娘も、嫁に行き一緒に居たくても居られなくなるんです。

なんと大切な時間だろうかと気づきました。

 

学校に戻そう戻そうと思ってるうちは戻らない

もう戻らんでも別にええ!

 

将来の進路に困るからとか、今後の人生に影響するとか、それこそ体裁なんてもうどうでもいい。

今苦しいのに先のことをしかも本人でも無いのに気にしてどうすんのよ...

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そんな苦しい子どもを思う本当の紐ときは

〝今のあなたで大丈夫。まるごとのあなたでいてください〟という事だったのかもしれません。

 

学校に通って元気が無い...  より

学校に通って無いけど元気    を選びました。

娘に生きるエネルギーが戻るのなら。

100%そう思いました。

 

とにかく一緒に出かけまくりました。

ご飯食べに行ったり、ショッピングを楽しんだり、湖や海を見に行ったり、真夜中に流星群を見に山に登った事もあります。

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今の悩みとは全く関係の無いことでもいい。

嬉しさや喜びを沢山充電します。

 

そうするうちに

自分自身で乗り越える術を見出せるのかも知れません。

娘は、自ら明日から行くと宣言し登校しました。

後に何がきっかけでそう思ったのか聞いてみました。

『自分のペースでいいんだと思えた』

『そこから這い上がったら自分はどうなるんだろう、きっと今なら変われるかもしれない』

『ほとんど苦しみが多かったけど、その中にある少しの楽しみに注目しようと思った』

そうです。

 

自分自身にとことん向き合う時間が、色んな気づきのきっかけになり、今までの点でしかなかった光が、こぼれんばかりにあふれる光になりました。

 

悩んでるクラスメイトの心の支えになってあげたり、気づかせる存在になったり、自分の中心に一本軸を通した彼女は、私も支えてもらっているとても頼もしい存在。

 

 

 

今日は卒業式でした

 

この廊下。

この階段。

その頃、どんな思いで歩いただろう

 

ほんとによく頑張ったね。

ほんとに尊敬する。

 

ここにたどりついたのは、本来なら避けて通りたいであろういろんな先生方の手厚いサポートがあってのことです。

そしてクラスメイトみんなの最後の一言の挨拶を聞いて、娘だけでなくほんとに苦悩や大きな壁を乗り越える子どもの多いことに気付かされました。

つまずいた子もそれを見ていた子も助けたい思いはどこかに持っていながら、うまくコントロールできない保身を否めなかった苦しさがあったことを感じました。

 

男子も女子も涙で溢れた最後のホームルームでした。

 

 

 私も親としてあなたを通して気づいたことがたくさんありました。

本当にありがとう。

感謝の気持ちでいっぱいです。 

 

卒業おめでとうございます。

 

 

どなたかのこころにも届くと良いなと思い書きました

いまのあなた自身で十分と気づき、支えあえれば道は開けると信じています

 

 

自分への 〝ありがとう〟と〝ごめんなさい〟 

 

時に自分のことを大切にできないこともありますよね。

いつまでも頑張りが利くと思い体調管理にせよ、身の回りのことにせよ自分のことを後回しにしてでも、家族のためや誰かを思い頑張ってきた。

と、勝手に思っていたしそれが正しいと思ってた。

 

でもどうやら、必死すぎて時間ないとかお金が無いとかを理由に自分と向き合う余裕を持てなかったことだと思いました。

 

ある言葉と出会いその後目が覚めます。

「生きているだけで、素晴らしい」

 

そのときにわたしの頭の中は自分へのごめんなさいがあふれてきました。

いつも体調が悪くてごめんね

イライラしたりくよくよしたりでほんとごめん

元気に生んでもらったこの身体これからは大切にするね

身体も心も大切に出来なくてごめんなさい。

 

それと同時に、

そんな状態でも病気にならないでいてくれてありがとう

家族のために必死になってくれてありがとう

いろんな考え方で私を危機から守ってくれてありがとう

 

みたいにありがとうもたくさん溢れてきました。

 

そうしているうちに活力が湧いてきたのも感じました。

 

 

それからは

自分を少し離れたところから、ありがとう

ごめんなさいを見つけては、私自身と向き合います。

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私は眠る前に「今日はどんなありがとうがあるかな」と思い出します。

それはそれは、もうつまんないことでもいいんです。

私なんか「そんなんでもいいの」と思えるものも自分へのありがとうにします。

ごめんなさいも同じく。

 

道を譲ったとか、手伝ったとか

「きっといい気持ちに出来たよね、すごいねありがとう」

指ちょっと切っちゃった

「不注意で痛かったねごめんなさい」とか。

 

ありがとうがたくさんある日も、ほとんど無い日もあります。

ごめんなさいがたくさんある日も、ほとんど無い日もあります。

それでいいと思います。

 

気づいたときで充分です。

自分へのありがとうとごめんなさいをしてみると自分の存在を心から認めていることに気づき愛おしく思えてきます。

 

自分から生まれる喜びや幸せを受け入れるのは自分自身ただひとりということ。

 

ありがとうとごめんなさいは自分自身を中心に戻してくれるし、ポジティブやネガティブの両端から引き離して戻ってくれます。

 

さてと

今日もベットに入ったら

さっき深爪しちゃってごめんなさい

疲れてるのに片付け頑張った!ありがとう

って自分に言ってみます。

 

本日もお読みくださりありがとうございます

おやすみなさい✧‧˚