今を生きる。私の中の自分に出会う

壮大な源と神様と私の日々のお話し。ときどきこたろう君といっしょ。

どうせ提供するんなら、喜びや幸せのエネルギーを選ぶことにしてみる。

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私は子どもの頃考えると眠れなくなるような、答えのハッキリしない色んな事に疑問と興味を持っていました。知りたい欲求は有るけど図書館で調べても、先生や親に聞いても結局のところわからず、というか知るのも怖く、知りたいけど知らない方が幸せな事もあるなぁと子どもながらに感じ、いつの間にか考える事をやめたり、勝手に楽しい解釈の仕方してみたり、そのうち現実に飲み込まれてしまいピュアな感性も薄れていました。

 

現在、普通に生きてれば思い出しようもない、幼い頃に箱にしまわれた疑問と興味をもう一度開いて取り出すことになるなんて、一切思いもしませんでした。

向き合った時には、その時の感覚を思い出したような、懐かしいような状態である今に、私なりの答えを導きだしてこれからの人生と共に歩もうと覚悟をしたのでした。

 

 

 

どんな疑問を持っていたかと言うと

 

  • 人って死ぬと肉体は無くなるのは分かるけど意識も思い出もそこで終わってしまうのか

 

  • 死んだらどこかへ行くのだろうか

 

  • 宇宙には他の生物が居るのか

 

  • 親や環境は選んで生まれるのか、ランダムであてがわれるのか

 

  • 人は死ぬと決まっているのに、なんのために生まれて来るのか

 

  • 人間は食物連鎖の頂点と思って居たけど、本当にそうなのか

 

なにひとつわからんまま

大人になりましたね。

 

壮大過ぎて現実離れしている、私が時々ここで言う宇宙だ何だかとの関わりについて...

共感を得ることはまず難しいです。

 

宇宙って、はぁ?行ったこともないし分かるかいなって、そういう事は専門家に任せときゃいいし。

って思ってました。

別に知らんでも何も困らんし。

 

まさに少し前の私が一番共感出来ない側の人間だったからよく分かっています。

 

それらが今になって曲がりなりにも、宇宙の仕組みのようなものが実は『そうなってってんじゃ無かろうか』と自分なりの解釈を得たので、ちょいちょいこちらで書かせて貰っています。

 

現実社会ではなかなか、『そうなってんじゃ無かろうか』なんて披露しようもんなら、いかれてしまったのか、かわいそうになどと心配されたりしそうなので、ブログの中で色んな私の思いを今回腰を据えて書いて行きたいです。

 

今までの自分がどんなタイプの人間であるかと言うと

白黒ハッキリさせたいタイプで

~すべき、~なければならない、などのガッチガチの強固な固定概念の持ち主でも有り

そうかと思うと一方で座右の銘は『臨機応変』なので、どっかで曖昧で自由な部分も人間には必要なものと思っている多少柔軟な考え方の人間の部類に入る方だったと思います。

 

それが今となっては『固定概念』が『流動概念』に変わってしまった事に周りも驚いているし、誰より自分自身が一番驚いてるんだから、ただただ人生何が起こるか分からないものだなぁと感じています。

 

私が語る自由な解釈については、正直に言うと特に求めても居なかったのに、ある時から精神性の存在などに導かれ探求心が更に次々と導かれとこのような理解に至ってしまったという所です。

なので、押し付けもしませんし理解してよなんて言いません。実際にこの感覚を感じ無ければ現実と同様になんか存在しないと思えるからです。

そんな感じで、ひとつの物語と思ってもらってもいいし色んな人間がおるんやなぁくらいの理解の上お付き合いいただきたいなと思っています。

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今回はそんな幼い頃からの疑問の中から、

 

『宇宙の存在』『食物連鎖』について。

 

宇宙での地球の役割って...

地球での人間の存在の意味って...

 

食物連鎖の頂点と言われる私たちは

実は頂点ではなく、

宇宙の源から人間は何かを求められているのかもしれないと、私たちの何かを提供してるのかもしれないと最近思えてならないし、そう解釈したらあらゆる出来事で納得ができました。

 

 

結論から言うと(長くなりそうだからね)

求められてるものは

人間が個人個人放つエネルギーということ。

 

はい。

ここらでこの先読むか止めるかって所でしょうか。

興味ない方は

ここらでおしまいにしてもらってぜんぜん構いません。

むしろここまで読んで頂いてありがとうございます。

 

宜しければ変わった読み物と思ってこの先も読んで頂けると有難い訳で...

 

 

では

続けます。

 

 

知恵という最大の〝強み〟を持った人間は、他の動植物には無い意味のある〝創造〟を繰り返しやってきた。

例えば、アスファルトの地面だらけの現代になったのは、昔々石ころや砂で凸凹すると人も乗り物も移動しにくいという所から、「つまづくし平にしよか」→「でも雨が降ると砂が流れてまた凸凹になるし」→「雨水を弾いたらいいのに」→「石と砂利を隙間なくカチカチに固めたい」→「石ころ細かく砕いて均一にしたろ」

みたいな知恵を絞る過程で様々な「スムーズな移動が可能に且つ長持ちをして、安価で大量に作れるもの」を求めて出来て来たのではないのかなと考えます。

今この世にある人工物は全て理由があり意味付けがあって存在してませんか?

 

 

どれだけ技術が進歩や進化しても、便利になろうが簡単になろうが、逆に退化しても絶対に変えられないもの。

いつの時代も変わらないものがありますよね。

 

それは、人間が持つ感情

 

それと密接な関係に有るのが、生まれて死んでいくというプロセスの中に人間に兼ね備わった

 

思考。

 

 

 

思考と感情

鍵はこれら。

前にもブログで書いた、ホメオスタシス(恒常性維持機能)とコンフォートゾーンについて。

 

www.cocoten.life

 

良い悪いに関係無く現状維持を保ちたがり相反するものの真ん中に戻る性質は、身体にも心にも同じように作用する。

そんな仕組みが元々から兼ね備えてる人間の意味ってなんだろう。

心にも作用する意味はなんだろう。

それらはエネルギーを生み出すために必要不可欠な機能だからかもしれない。

物理的にも人の身体もよく説明出来ないけど振動する素粒子の塊で出来ていて元々紐解けばエネルギー体ということらしい。

 

エネルギーとしては悲しみや喜びどちらも同じくらいかなと思うけど、どうやら悲しみや怒り、恐れ、不安の方がエネルギー的には喜びや安心、幸せより大きなエネルギーを出すんじゃ無いかと思う。

 

 

そんなことから、日本人の感情は他の諸外国より大きなエネルギーを放ってると思う。

日本は喜びや楽しみに控えめな国で、慈悲の念の強い国だから。

日本の神々(壮大な源と私たちとを繋ぐという有難い方々)も宇宙から尊がられて、宇宙から見れば地球の中での日本はエネルギー回収率が高いと思われてるのかもしれない。

 

感情の種はどんなに遠い昔でも、現在の人間にも同じ場所に有ると思っています。

戦争によってお国のためと自ら命を絶つとか、世の中の状況が変われど、現代には今だからこその喜びや悲しみがあるし、人々の感情の在り方は今も昔もそう違わない。

 

42年も前の『幸せの黄色いハンカチ』高倉健さんの名作、あの映画初めて見る人はいくら古い物語だとしても、やっぱり胸に込み上げるものが有ると思うし...

近年の未曾有の大災害がどれだけ昔の時代に起きたとしても、人々の悲しみは今と変わらずおおきなものと思います。

 

その感情のエネルギーが宇宙の何らかの原料や材料になっていると考えた時、生まれて死んでいく人間の大きな役割りや意味も分かり、その人生の中で私たちは喜怒哀楽に翻弄されて生きて行くけど、その感情を悲観したり一喜一憂しないでいいという扱い方も納得して分かったのです。

広い広い宇宙の僻地のような太陽系の星のひとつの求められているものとするならば、あくまでも私としてはですが、腑に落ちました。。

 

さて そうだとしたら

感情の生み出すエネルギーとしては喜びも悲しみも怒りも似たようなものと捉えて、どうせエネルギー回収率をあげるなら悲しみや怒りや苦しみのエネルギーより、私は選べるんだから喜びや幸せのエネルギーを放った方がいいんじゃないっていうことに行き着いた訳です。

それらを個人個人が繋がりの中で行うと幸せのエネルギーは増幅してより大きなエネルギーに変化する。

例えば選んでみると

 うそでも「このあたりなんか気持ち悪い、なんか出そうな気がする」なんていったら、すぐさま一緒にいる人にも不の感情が伝わり、鳥肌を立たせながら気持ち悪くなってその場から離れたくなるでしょう。

逆に、うそでも「このあたり、神聖な気持ちがする、なんかご利益授かれそうな気がする」とか言おうものなら、一緒にいる人も手を合わせたりするでしょう。

一人のエネルギーよりも二人三人と大きなエネルギーを人間の食物連鎖の上にいる宇宙が必要とするならば、悲しみや恐れより幸せを感じたエネルギーを放つほうが楽チンでしょうね。

 

身体も病気になったら、本能で元の身体に戻るために色んな作用が働く。

感情もどちらに揺れ動き大きく大きく揺さぶられ、振り落とされそうになっても、ちゃんと人間の持つ本能で元へ元へ戻ろうとする。良し悪しは無きにしも非ずだけど。

 

命さえあればいくらでも クリアにする機能が備わってるんだからリスタートしてやる。

そしてどうせ提供するんなら、しんどくない方にしたい!

このブログでしょっちゅう書いてる

『選べる』ことについて、怒りも喜びも感じようとすれば私は今では自由に変化出来る。

意識が変わり始めたときは行ったり来たりして、いちいち認識の確認も

多少必要だったけど、考え方の癖のようなものを少し変えれば簡単に好きな方を選べた。

 

少し前は、怒りたい時も受け取り方次第と許す思考に無理くり変化させたりしたけど、私なりに生きる意味を理解していると、怒りたいと思えば怒ればいいし、

思いっきり泣きたいと思えば泣いてもいいし。

自由に素直に感情を選んで出し切れば、

ほれエネルギー全部出し切ったし~

あとの感情は自由に選んでみるといったように

私を俯瞰で見れてるのかもしれない。

 

 

 

 

エネルギー。

目に見えないものをココに表せと言われても所詮無理 な話...ごめんなさい。

でもwifi見せてみって言ったところでみえないのと同じようなことかもしれない。

LINEの会話も瞬時に送られるのなんで?どうなってるのかこの目で見てみたいけど説明してもらった所でどうせわからん。

 

今の時代ならはこんなお話も少しは理解 してもらえるかもと思って書いてみました。

 

 

 

『環境を選んで生まれるかランダムか』という疑問もまた違う視点のこの世の仕組みについてもそのほかの疑問も全部繋がりがある。

陰と陽のように裏表で分けられてる宇宙のルールについても同じく

宇宙は地球に住む私たちにとってすぐ隣にあるものと気づかされました。

 

そのお話はあまり長くなったのでまた今度にしますね。

 

 最後に

後にも先にもこのことを書かなければ、このブログ繋がれないと思ったのでとても書きたかったんです。

なんかうれしい。ありごとうございます。

長文になってしまい ごめんなさい。読んでいただいて感謝いたします!