今を生きる。私の中の自分に出会う

壮大な源と神様と私の日々のお話し。ときどきこたろう君といっしょ。

自然の中に良いと悪いは存在しないってことについて。

万物はただただそこに存在しているだけ。

そこにあるだけ。

 

だけど下から見たり横から見たり、はたまた中心から見たりすると違った世界が見えてくるという事を書きたいと思います。

 

 

その辺にある木や草には、良い悪いは無い。

鳥や虫も良い悪いはない。

そこに私たちが条件(一般的な概念)をくっつけた時に良い悪いが浮かび上がってくる。

 

 

例えば〝草〟

 

自分の家の敷地にがぼうぼう生えると、見栄えも悪く手入れされていないとだらしが無いと思われるので『格好が〝悪い〟』と思い除去する。

 

よその家のは、ぼうぼう生えようが全く関係もないし除去したらいいのにとは思うけど、それらは『自由で〝良い〟』と思い、取ってよとか言いに行ったり取り除いたりはしない。

 

野山にあるはなんやったら、として一番『ふさわしいくて〝良い〟』のでそこにあるだけでオールOK。

 

それらは私たち人間の思考(考え方)であって

草はそこに生えてるだけ、草として存在しているだけなんです。

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とっても奥が深くて様々な意見があると思うんだけど

つまり、自分の決めた法則や概念の中で物を見たり行動したり考えたりしているだけで、万物全てにおいてそれぞれは完全ということをいいたいんです。

 

日ごろ私が当たり前にある物事や思考(考え方)は決して当たり前でないということ。

他の在り方や思考(考え方)が他にも存分にあるということを私自身を俯瞰で見ているうちに気づきました。

 

好き嫌いに潜んでる良い悪い。

 

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あんまんと呼ばれるものについて、甘い物が温められると甘さ倍増な気がして

これまで食べたことが無いという私に、

あんまん好きの友人が、たまたまこしあん派とつぶあん派に分かれていてどちらがどのような理由で好きなのかということについて、熱く語っている時にヒントがありました。

好きときらいには往々にして

その人にとって結びつける良い悪い(優劣)が含まれているということ。

 

 

  • Aさんはこしあん派。

好きな理由〝こされることによって味の繊細さが増すから。

尚且つ上品であるから〟

 

  • Bさんはつぶあん派

好きな理由〝粒の存在感があるから。

尚且つ粒をわざわざ潰すのは邪道。本来の小豆とは違うものになってるから〟

 

言い争いまでではないけど、お互い「いやいやそんなこと言いますけど」となかなかひかない。

なるほど。

 

最終的に対象物に対して自分なりの良い悪いをつけていることに気づきます。

その好き嫌いや、善し悪し、優劣、正負の離れた距離の長さや重大さは様々あるとして

  • Aさんはつぶあんをこしあんに比べて上品ではないと言っている。
  • Bさんはこしあんをつぶあんに比べて正しい小豆の食しかたでないと言っている。

 

というものが隠れているようです。

 

選ぶのは今まで培った自分の経験や見たり聞いたりした知識であって、こしあんとつぶあんの存在自体は否定も肯定もない。

そこに自分の概念が加わると、良い悪いなどを選ぶ基準が人それぞれ変わる。

福山さん演じる湯川教授じゃないけど「 実に面白い」

 

良いか悪いか

正か 負か

優越か 劣等か

勝ち組か 負け組みか

〇か  ✕か

 

物事を比べることによって現れる概念ということだけ。

 

こしあん派もつぶあん派も両極の細かく分けた考え方を知れるということに対しては

良い悪いを二極化した意味はわかり易く選ぶときの参考になります。

そんな意見を参考にしつつ、大げさにあえて言うと 全てを受け入れ、良い悪いもひっくるめて全体の中心から判断する。

ので、「教えてくれてありがとう」感謝で終わってしまう。

つぶの存在感も味わいたいし、こしの上品さも感じてみたい

その次は「ふーんふたりはそうなんだ、どっちも食べてみよっと」と思うのが常になってきた。

 

人それぞれの基準が違うというのも生き方考え方も

まったく違うということも良くわかってくるしそのために比較したり競争したり闘争にまでなったりということも知ったので

〇と✕ではなく、〇と◎

良いが、更に良いとなるような

選び方や考え方になってきたのかもしれない。

 

 良いが見えると、その裏の悪いも一緒に見つかる。

視野が広がるということかもしれないなぁ。

 

小さな幸せを拾うために、大切にするために

私もいつでも思い出せるように書いてみました。

 

 

宇宙全体が無限

 

地球の外側は宇宙。宇宙の空間が広がって居るだけ。その空間が私は壮大な源と呼んでる。

 

言わば神々とか私たち全ての大元。

 

神とかなんとか言えば途端になんか宗教じみるのだけど、決して宗教の類いの事を言ってるのでは有りません。

ここで良く言う〝ひとつ〟ということを言いたいの。

 

元々全てはひとつ。

それらから別れて地球が出来て、海と大地に分かれその中で季節や環境に伴った大地に生物や植物が生まれ、各大地の中からひとつに偏らない四季の全てを感じられる有難い日本という国があり、日本人に生まれ、ひとりひとりに分かれこの時代を生きている。

 

宇宙全体無限とすればそれが壮大な源ということ。

そして私たち人間の寿命は有限なので、その無限の中にいるということ。

キャーーーーごめんなさいぶっ飛んでます?

伝わってますか

大丈夫でしょうか…。

 

全てが壮大な源の一部ということで、その神をも含んだ中で暮らしているということなんです。

 

自分の足が大きくて嫌い?

んじゃ切るかい?

って言われても切り落とさずに受け入れて付き合うよね...

全体の一部として大切な存在ですよね。

そんなことを先の良い悪いにも繋がってます。

 

すっごい思想家みたいな話だけど

今の自分の考え方や在り方も、これまで生きてきた歴史の嬉しい経験や苦い思い出などは優に人生に生かせて良いし

良い悪いも湧いてきていいと思う。

どんな考え方をしてもいいんじゃね的な。

 

でも思い出せば良いんだよねきっと。

 

元々ひとつということを忘れているだけで、

細く暗い迷路に迷い込んでも、

心をドローンにくくりつけて空へ飛ばして全体を見てみるとか

新幹線で爆走してるけど、たまに横をテケテケ走ってる在来線に飛び移ってそっから新幹線を眺めるとか

 

少しずらして自分を含んだ全体を観察してみようかな。

そうすると様々な困難も意外と受け入れてあげられるかもしれない。

 

私自身、環境は大きく変わって居ないけど

色んな事が受け入れられたのか

変化を見せている。

 

ふっと我にかえり思ったのが...

忙しいを理由に(本当に忙しいのだけど‪w)家事を溜めがちだったり、思いやりが足らなかったり

体調も含めてイライラしたりを見事に解消していることに自分でも驚いている。

 

バロメーターとしてちゃんと測れている。

スゴい。

その日の用事はその日で済ますなんて

ここ数年出来て居なかった。

本当に書いてる今気づいた。

洗濯も洗い物も掃除もお弁当も本当にキッチリできている。

あかん泣きそうになるし‪w

 

大丈夫だきっと。

こんな感じで全てを受け入れる自然体で居られる今に心から感謝をしたい。

誰かというか全てに感謝しかない。

 

私に関わる全ての皆様、全ての出来事に

心からありがとう。