今を生きる。私の中の自分に出会う

壮大な源と神様と私の日々のお話し。ときどきこたろう君といっしょ。

人間に生まれて、ひとつノートを授かりました。

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思考って常に湧いて出てきて、ひと時も黙っていませんよね。

これみんながぶつぶつ声にだすのが常ならば、うるっさい通り越してエラいことになります。

湧いて出てきていることにも気づくことさえ無くいつも何か考えてる。

普段これって一体なんなんやろとはあまり考えたことも無かった。

 

時に自分の考えに押しつぶされそうになって、あかんあかんいらん事考えんとこって、湧いてくるマイナスな思考を追っ払う時に、「マイナス思考ではあかんなぁ」と感じるくらいです。

 

実はそれらの思考クセが、嬉しいことを自ら引き寄せてるとか、あるいは病気に繋がるとか、肥満や拒食に繋がるとか、ありとあらゆるものの、根源 = 根本 = 根っこ = 中心 が、肉体を持ったを動かす原動力になっていることに気づきました。

 

 

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〝思考〟

 

それ自体は良いも悪いもなく、考えに考える事は自分を向上させたり戒めたり、次なる扉を開けるためのツールにもなるし、深く自己嫌悪に陥るようにズルズル思いをこじらせてしまう代物でもあります。

 

要するに、使いようという事かも知れません。

 

こんな考え方はどうでしょうか。

人間に生まれて、ひとつノートを預かりました。

成長と共に思考は書き込まれ、大事な所には付箋を付け、赤ペンで書いたり、あるいは消しゴムで消したり...

書き込んだページはたくさん増えて想像力の助けをします。

 

どんなことを思っても自由だし、好きな人とのラブラブな妄想も、嫌いな人をぶん殴っても誰にも怒られず、ノートにはどんなこと書いて残しておいても全く問題ない素晴らしいプレゼントです。

 

使い方さえちゃんと知れば、これほど便利で優秀なものは無いと思います。

 

 

幼少期の頃。

例えば

お昼寝から目が覚めたら、いつもそばにいるお母さんが見当たらない

(ベランダに洗濯物を干しに行っていたとする)

 

「おかあさ~ん」って呼ぶけれど「は~い」って聞こえない

おかあさんがいない

という思考が沸く。厳密に言えば「さびしい」という感覚と、「ひとりは不安だからいや」が思考で後から付随する尾ひれのようなもの

 

ただただ単純にそれだけ。

さびしいからポロポロ泣いちゃう。

それだけ。

まだまだ新しいノートには〝お母さん大好き〟としか書かれていないのかも知れない。

 

それが逆だったらどうでしょう。

一緒にお昼寝していたのに、目覚めるとこどもが見あたらない。

(ママがスヤスヤ気持ちよく寝ているので、たずねた義理の母が目覚めて遊んでるこどもと散歩にでかけた

)昔あった本当にあったお話w

 

 ○○ちゃ~ん

呼んでも返事が無い

 

あちこち家中探すけど...いない

もしかして義母が寝てることをいい事に、連れて出かけた?(イライラ)的中!

それともひとりで家から出て行って迷って帰れないかもしれない?(不安)

誰か家に侵入してきてさらって行った?(恐怖)

 

はっ!  救急車の音! もしかして外に出て車に...(動揺)

 どうしようどうしよう

怖い恐ろしい思いしてたらどうしよう!(混乱)

 

というふうに、生きて来た経験や、教えて貰ったものを書き込んでいるページをめくっては指さし、めくっては指さし...

 自分自身で辞書を引っ張るように不安材料を引き出してくる。

 

帰ってきた義母に憎悪の気持ちまで湧き、その後も思考は止まらず「このままいつか取り上げられるのではないか」とか「私よりいつも優しい義母の方を好きになるのではなか」とか、どこまでも悪い方へ考えてしまったりする。

今の思考を持ってすれば、不安はよぎっても子育てで疲れてるやろうからゆっくり休ませてくれたんだなありがとさんで終わる話だったのかもしれない。

その思考のほうが楽で精神的にも健全でいられると思う。

例えが、嫁姑間で全員に当てはまらないかもしれないけどw

 

 

こどもの思考回路は単純で、その時の瞬間の事だけを基準に考えます。

 

大人になると考え方が複雑に幾重にも折り重なっています。

そのノートに書かれてる事は過去の出来事から学んだ事や感じた事だけだと言うこと。

まずはそれを知るだけでいいし、その中から何を選んできてもいいんだと知るだけで随分と考え方が変わります。

 

 

クセのようなものだから、まずはぐるぐる考えてしまっている自分をパタっと振り返るように心掛けてみる(私ってこんな考え方するんだなぁ...更に怖くなりたいのでなければこの考えは不要だな)のように。

湧いてきたら(そうだなママが嫌われちゃうって事も私は心配しているんだな)というふうに色んな感情を結び付けずに、自分の中にあるベルトコンベヤーに置いて後ろへ流す。

不要な思考は後ろ流す。

を、繰り返すうちに上手になってくるから。

 

 

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授かったノートは人それぞれ、ページの数や色も形も様々なんでしょう

生まれた環境、育ってきた道筋、出会った人々

によってひとりひとり全く違うノートになってゆき、とっても大切で何よりもステキな宝物なのですが、そのいくつも山のように書きとめてきたものたちは、

あるひとつの考え方にすぎず、そこに書かれていることは自分自身の過去の考え方や思い込みによるものも多く含まれているって事に気づいていきます。

そして同じく、それを書き換えるのも自由であることにも気づきました。

 

〝ひとつの物事に対して経験や知識が豊富なら選択肢がいくつもある。でも色んな考え方ができる反面迷いが生じる〟

 

〝あまり経験や知識がなく選べない。だけどあまりあれこれ迷わずに済む〟

 

みたいに、どちらにもとれる。

 

自分自身や人生に対してそこに書き留めていることを採用し、それだけが信念と思っている事が果たして絶対なのか...時代は変わりそれと共に常識も変わります。

そしてそんな考えに沿って、現実は動いて行きあらわれる事になるんです。

 

 

ノートから何をチョイスしても自由...

 

自分の思考のパターンをよく知ることから始めて、私の場合はどんなことも心配の種にしてしまうことからなかなか抜け出せないことにやっと気づくことができました。

楽観的すぎるとか、深く考えすぎるとか、怒りに結び付けがちとか色んなパターンがあると思います

 

湧いてきて苦しくなったら、『私はこんな考え方するんだなぁ』とその考えがどこのページに書いてあってその情報が何から来たものなのかを見つめてみると

元を辿れば自分自身の幸せを願えばこそ湧いて来る思考だと言うことに気づいていきます。

怒りも不安も喜びも私自信が幸せを願えばこそ湧き出るものだと知ったら

『私は幸せを自分で願っているんだ

こんな自分を大切にしよう』と思えてくる。

 

今回は〝思考〟という観点から書いてみました

 

なかなか学校では教えてくれない〝思考〟の存在。

自分自身に気づく方法はいくつもありました。

 

自己価値を見出し作り上げ、それを保てるような教科があったらいいなと思います。

 

〝思考〟

 

自分自身を大切に思うが故に湧いて来るものとして、私も今一度ノートの整理をしていきたいと思っています。

 

いつも読んでくださりありがとうございます

良い一日をお過ごし下さい✧‧˚