今を生きる。私の中の自分に出会う

壮大な源と神様と私の日々のお話し。ときどきこたろう君といっしょ。

勝手に起きているだけ。

行くでぇ~   今日は思いっきりナナメ45°もしくは真裏から攻めまくることにします。

もうきっとこのブログはわかる人にしか現れないのかと思うからです。

さっぱり意味わからん、むしろ不愉快だと思う方は何故そう思ったかそれを深く掘り下げて考えて見ると何かの気づきになるかもしれません。

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前にも書いたんだけど、『今を生きる』の今は良く言われている過去は終わったこと。未来はまだ訪れていない事。ならば今現在を大切に...と言ったような時間の軸の中の『今ここ』という表現。もっちろんその通りで、私もコーチングやカウンセリングの時に使ったりします。とっても現状の今と重ねてわかりやすいから。

でも、ここで言う『今を生きる』の『今』は時間では無く現在地のいまここの点であり、広がりであり全体です。

奥深いように見えて、目の前というか足元にあるものです。

そして既に誰しも、もうあるものです。

過去や未来にふらふら振られ、右を選ぶか左を選ぶか迷いに迷い、そして『ああこちらではなかった』と悔やみ、あの人より上へあの人は下だと...そんな二極のこの世。

 

でも

東に進めば東の道ができるじゃない。

西に進めば西の道ができるじゃない。

そのふたつの道に決して良い悪いはないし正解も間違いもない。

どちらの方向でもあらゆる経験をする。

そして『今ここ』は二極の世界の丁度真ん中の状態。表現がとぼしい‪w...あぁもどかしい。

言わば『無』

ここから大きく離れれば思考を使うという手段で色々探るんやろね。

離れれば離れるほど不安がついてくる。

 

ここがひとつ今ここが完全で完璧なんです。

例え現状が苦しくとも『今』全体の大きな源から見ればそれも元々は苦しみの中には居ないということなんです。

深く深く掘り下げてゆけば溢れる愛に気づき、そうだったんだと感じることが出来ます。

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最近こんなことに気づきました。

あんなに毎日、この意識になる前からの何年もの日課であった、毎朝カーテンを開けて太陽に向けて『いつもありがとう今日も一日世の中の生命が微笑みや笑顔で溢れますように』と最近ではスケールのどデカい聖者のような願い事をお祈りしてました(ざっ無宗教っす私。)

それすらもうやりません。やりませんというか気がつけばやっていません。

なぜならもうここがひとつだから...毎旬がそうだから...ここが源だから。

 

 

ンもう٩(๑`^´๑)۶何言ってるか分かりませんけどって聞こえて来そうですが、あえて言い切ります。

もう既に全てにおいて完璧であるということ。

 

この瞬間瞬間が

『ひとつ』『全体』なのです

真夜中やけどねぼけてないよん   ツイテキテー!=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)

この瞬間の起こること出来事は勝手に起こっているだけ、風か吹いてるだけ、音がしているだけ、雨が降ったり、日に照らされてるだけ

それに何も意味は無くただそこにあるだけ。

 

そんな現れにどんな意味を持たせるかは自分次第。

それにより自分独自の物差しがある人はそれで測り長いだの足りないだの困ったり満足したりする。

 

そこの場所は瞬間瞬間が『0』

 

『意識の向こう』ではこんなことを少しでもわかりやすく書いてみます。

海がしょっぱいのも、太陽と月があるのも、男と女がいるのも『今を生きる』と全て見えてきます。

安心で安全な『今』を感じてみてください。

 

今日もお読みくださりありがとうございます

『今』この瞬間には安らぎしかないことが伝わりますように✧‧˚