今を生きる。私の中の自分に出会う

壮大な源と神様と私の日々のお話し。ときどきこたろう君といっしょ。

記憶をまるっと書き換えたという話。

f:id:b-Life:20191123001806j:image

満員電車の中、何かの事故でいつもの乗車時間よりはるかにぎゅうぎゅう状態でも乗っていなければならなく、苦しかったことを先日ふっと思い出した。

その時代の記憶は、ひとり暮らしの寂しさというのもあったので陽の沈む夕方のような記憶で染まっていて、積極的に思い出すことは無かった時代の出来事だった。

 

先頭車両に乗り池袋駅に着いた瞬間、今まで我慢して自分を励ましてようやく立っていた私の糸が切れた。

扉が開いて外へ誰もが各々弾き飛ばされるように出たのだと思う。

 

朦朧の意識の中…

 

プラットホームの柱のたもとに寝ているのはなんとなく分かった。

 

ミニスカートを履き身長の高い私は多分足やら露わにして横たわっていただろう。

朦朧とする意識の間に、50代位の女性が近くにいたような記憶も微かにあった。

その先、駅員さんが何人ががりかで医務室的なところまで担架に乗せて運んでくれてる所も、うっすら記憶にあるようなないような。

目が覚めると、宿直室みたいなところで寝ていた。穴があったら入りたかったしこのままドロンと消えてしまいたかった…

 

そろりと起き上がり、特に何を聞かれるでもなく「ご迷惑お掛けしました」と一言お詫びをし、何事も無かったように「はーい」と響く淡々とした空気の中、私は無かったことにしようとわざとあれこれ考えた。

仕事の事や会社になんて言おうかとかの方で埋めつくしたまま会社に向かったと記憶している。

 

そして私はその後何十年も、その日のことを悲しい思い出としてインプットしていた。

東京ってほんとに人々の感情は希薄だと。

 

倒れた私を誰も介抱してくれず、病気を疑うこともなく救急車を呼ぶでもなく、薄暗い所にただ寝っ転がらされていて放置されていたと。

 

何回かこの時の切ない出来事は、『都会って恐ろしい話』に登場しては、話す度に更に嫌な思い出に染まってゆく。

 

その出来事の奥深くには、恥ずかしい…みっともない…尊重されなかった…思いが私の底にべっとり張り付いていたに違いない。

f:id:b-Life:20191123001930j:image

 

それが全く信じ難いとは思うけど、少し前のある朝、起きてるか寝てるかの境目の時によく現れるような、何時もの夢か現実か曖昧な思考が広がっている時に、なんの前触れもなくその朝の映像が再現された。

 

何かが違うのは、俯瞰で見ているもう1人の私の目線から見ている状態だった。

 

プシューっとやっとのことで扉は開き、改札目掛けて一斉に弾き出されたサラリーマンやOL達。

朝なのに疲労しきったそれぞれの顔の間に、真っ白でうつろな目をしている私の姿が雑踏にまみれて沈んでいった…

 

改札に近い、先頭車両の扉付近に私は乗っていて遅延到着した時間を取り戻そうと急ぐ人々の波の中にのまれている。……力尽き気を失い倒れそうになっている私を何人もの男の人が支え受け止め雑踏の渦から離れた場所まであっという間に運んでくれているのが見えた。

力の入っていない身体ほど支えずらいものは無いのだなぁと俯瞰で見ているもう1人の私は静かに見ている。

 

私を支える3人の男性と私のカバンを持った男性と心配そうに近づく女性が2人…

その女性の一人が駅員さんを見つけて説明している。

その駅員さんはなんと、自分の上着を私の腰元にかけてくれて、ワイシャツ姿で素早く階段を降りていった…

女性の一人は寝ている私の脈を取り、目の下をめくって確認し立ち尽くしている男性陣に何か説明している…

看護師さんかもしれない。

 

その男性達はその女性に頭を下げ、その場を振り向き振り向き改札にまみれて行った。

もう1人の女性は行き交う人からの目線を遮る壁になってくれている。

 

担架を持ち階段を上る4人の駅員さん達が到着した時、女性2人が私の身なりを整えてくれて長い髪を自分の私物のゴムで軽く結んでくれているような仕草が見える。

その女性達も駅員さんに頭を下げ、担架で運ばれる私を見えなくなるまで見送ってくれている。

 

担架のバランスを保ちながら階段を降りてる!

凄い。

担架からゆっくり下ろしてもらい布団の上に寝かされタオルケットを首元まですっぽりかけてくれて、部屋をそれぞれ出て行った。

 

私が目を覚ました気配を感じて、ひとりの駅員さんが「布団畳んでます」って他の駅員さん達に私の様子を話してる

私が詰所を出る時に駅員さん達はついたての影に入り、気配を消している。

年頃の女性への配慮のつもりらしい。

 

蚊の鳴くような声で 「ご迷惑おかけしました」 の後に続く「はーい」。

の周りには無事に復活して良かったの何人もの駅員さんの安堵の空気。

 

全くもって、私の認識の欠片も想像も一切重ならず、すべて真逆のエピソードを見たのだった。

 

 

目が覚めた私は……

夢なのか、私が勝手に作り上げた願望なのか、本当の真実なのか混乱していた。

先ずはベッドに正座をして姿勢を正して、助けてくださった皆さんに感謝の土下座をしていました。

 

そしてジワジワ気づくのです。

 

あの雑踏の中、そう言えば衣服が乱れていなかったこと。

擦り傷も無い、打ち身もアザもない、ストッキングすら無傷。

 

冷静に考えると、やはり有り得ない。

池袋駅先頭車両の1両目の開くドア付近にいて、池袋駅に到着してプシューとドアが空いた瞬間からの記憶がない。

長身の私が倒れてしまえば邪魔で踏まれまたがられて、引きずられるか引っ張られるかだと思う。

 

だが、一切着衣に汚れも破れもなくカバンすらキレイなままだった。

 

髪を結わえてもらったヘアゴムはどこかにあったのだろうか。

 

長年あんなに恥ずかしく、みっともない記憶を都会の情のない人々のせいと勝手に決めて被せて記憶の隅に追いやっていた自分が恥ずかしくも思えた。

一瞬にして感謝の記憶に変わってしまった。

 

こんな事ってあるんだと私自身驚きでしばらく思考も働かなかった。

 

ほんとに感謝でしかない。

これが幻でも、夢でも、事実ではないにしても…。

 

見えないものを信じるというのは物質社会に生きている私たちにはなかなか受け入れ難いとは思う。

 

でもその見えない所に真実は往々にして有ると思っている。

それらを確信にする事は自由だし、誰にも迷惑をかけない。

 

事実、色濃くへばりつく私の都会で暮らした寂しさのトラウマは間違いなく消えてしまった。

f:id:b-Life:20191124124006j:image

過去の都会の物寂しいブルーな思い出は満員電車の出来事に全て集約させていたようで、堰き止めていた石垣が崩れて、途中干上がった川にとうとうと水は流れ自由に方々へ広がっていく様に、詰まりが消えていた。

 

その後何度か思い出してみたものの、もうあのもの悲しさが蘇らない。

 

本当に不思議。

 

過去や未来とはいえ、思い出し思い描く出来事は今ここの瞬間に有ることを、そして全ては今のこの瞬間にしかないと言うことに気づくと、人生が安心という究極の幸せに行き着くと感じています。

 

 

 

いつもお読み下さりありがとうございます

風邪ひかないでね´ω`*